私が起業したのは37歳になる1ヶ月前。
その年の3月、父の会社で働いていた私はただならぬ腹痛から入院。
投薬と2週間以上絶食絶飲という、入院生活。
最初の2日は増していく痛みに、「このまま死んだらどうしよう」という恐怖が生まれた。
音楽の仕事をすべて辞めて父の会社に入社したときは、「絶対辞めない」と心に誓ってたのです。
なにも知らない世界に飛び込むのだから、音楽も一切やらない、そんな決意(今思うと健気でかわいい)でした。
病院の中で、「自分の決意は正しいのだろうか、死んだらどうしようもないし、死にたくない」、と自問自答の日々。
そして退院し、いつもの日々、、、のはずが、4月末日に父に呼び出され、「おまえは信用できない」とクビを言い渡された。
これを言うと周りはドン引きされるのですが、私の心の中は「神様が父親にクビを言わせてくれたんや。命助かった、ありがとうございます!」と感謝の気持ちでいっぱい。
怒りは微塵もありませんでした。
絶対辞めないって決めたので苦しかったのですが、辞めろと言われたら別です。
家に帰って、これからどうしようと。
車のローンが残ってたので、働かないとまずいからです。。。笑
冷静に自分のキャリアを。
高校は普通高校だけど、音楽大学の声楽家卒。
持っているのは中学1級、高校2級の音楽教師の資格。
音楽の世界に戻るとまたゼロからの長い道のり。
音楽教室の先生には戻れない。。。
実父の会社で勤務が2年9ヶ月。
わがまま娘、扱いにくい、もしくは出来ない人間としか思われない。
面白がって面接してくれたとしても誰も雇ってくれない。
そして同時に。
もう人の下では働けない。
そう思ったのです。
ふと本棚を見ると「小さな会社の作り方」という本が。
「そうか、会社を作ればいいんだ」と。
起業なんてそんなもんかもしれません。
本棚に目をやって、決めるまで一瞬。
起業すると決めたらワクワクして、そしてまた一瞬でどんな会社にするか決まりました。
食と音楽の会社。
具体的になにをするかなどは決まってません。
笑
でもそのまま17年続いてます。
細かいことはなりゆきで決まっていくのです。
起業には正解パターンはない。
でも考えすぎると起業そのものにリスクを感じ、出来なる可能背も。
とりあえず、まずは決めてしまうこと。
*写真は起業した当時のオフィス。
今より事務所っぽい。
豊中の桃山台で、実は今の事務所より高い。
周りに起業している人もおらず、インキュベーション施設の存在も知らなかった。
敷金礼金300万円を200万円に負けてもらい、退去時は50万円の返金。
オフィス家具は安いのがまだ当時一般的ではなかったので、内田洋行のいいやつ。
1千万円の資本金があっという間に減っていった。
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