名付け親 福永光司氏
私が幸運だったことは、素晴らしい大人に7歳までに出会ったことです。
前回は私のピアノの師「矢田暁子」先生について書きました。
矢田先生とは7歳になる歳に縁を頂きましたが、私の名前「律子」を授けてくださった福永光司先生には生まれる前から縁を頂いています。
老荘思想、道教の研究者として名高い故福永光司氏。
京都大学名誉教授であり、東京大学の教授でもあられて希有な方です。
(先生の経歴については、ウィキペディアの記述を参考にご覧下さい)
福永先生は、私が初めて「かっこいい」と思った大人です。

先生がどのような方か。
NHKのページで、短いですが先生のお話を聴けます。
先生は、父が大阪府立北野高校在学中に教鞭を執られていて、放校になりそうだった父の後見人として1年間、ご自宅に預かってくださったと聞いています。
その父親との縁で、私と弟(仰)の名前は先生から授けてもらいました。
私たち姉弟が幼い頃、父に連れられて、福永先生の京都のご自宅によくお邪魔していました。
ご自宅に行くと、父が先生と話している間、先生の娘さんと息子さん、私たちにとってはかなり年上のお姉さんとお兄さんがずっと遊んでくださった。
台所でテレビを観ながら、トランプやルーレットといった、同世代とは違う遊びを教えてもらってワクワク楽しかった記憶があります。
偉い先生のご自宅は、自分の家より居心地が良かった。
私が中学生の時、先生の研究室があった京都大学人文科学研究所(現:東アジア人文情報学研究センター)に伺いました。
漢文の本が壁を覆い尽くした部屋に通され、デスクに置いてあった本の中を開いて、私は思わず「ぜんぜんわからない」と言ってしまいました。
そんなこと当然なんですが、その時の先生の答えが素晴らしかった。
「お嬢ちゃんにわかられたら、僕は仕事を失っちゃうな」
それを聞いて、私は「あぁ、素敵だ、かっこいい」と思いました。
大人の余裕、懐の深さを感じました。
このフレーズは忘れられなく、いつか使ってみたいと思うようになりました。
笑
私がピアノを教えていたとき、中学生の生徒が「先生の弾くピアノは生きているみたいで、私が弾く音と違う」と、言ってきたので、福永先生のフレーズを使うチャンス!と「すぐにそんな風に弾かれたら、私、仕事失うやん」と答えました。
また、大人になってから、親との関係に悩んでいた私と弟が先生のご自宅にお邪魔したときがありました。
その時に「世の中、自分の思うようにはいかない」ということをわかりやすく、当時話題になっていた芸能人の例を取り上げて説明して下さいました。
本当に素晴らしい方は、他人に偉そうな態度を示さず、誰にも理解出来るように話しをして下さる。
私は先生から老荘思想や、道教を教えてもらったことはありません。
でも先生の受け答えから、上に立つ、人々をリードする人の姿勢を学びました。
誰にでもわかるように説明する、地位や年齢差に関わらず話をする。
これは私なりに福永先生から学んだことです。
今、この年齢になったとき、この重要なことを子供の時に学んでいたことを感謝しています。
私の名前がなぜ「律子」になったのか。
福永先生に直接聞かず、母親から「旋律の律」と聞いてきました。
どうして、生まれる前から音楽をすることを決められていたんだろう、と腑に落ちない気持ちでいました。
私が起業後37歳の時に、母から「律子」になった本当の意味を聞きました。
母が私を身ごもっているとき夫婦間で問題があったから、名付けられた名前だということを。
それを聞いたとき、自分の名前「律」に込められた先生の考えや想いを感じました。
私の子供の頃から現在に至るまでの行動が示されているなとつくづく感じます。
中学一年生の時、先生から「人にも自分にも厳しすぎる」と言われたことがありました。
自分に厳しいなどと言うことは未だに思ったことはありませんが、人にも自分と同じことを求めるのは良くないと思い、出来るだけ人には寛容に心掛けています。
出来ているかどうか自信はありませんし、我慢には限度がありますが。。。
私の名前はたとえ親であっても間違いは受け入れず、自分自身を律せよという思いを込められて名付けられています。
それであれば、たとえ傷だらけになっても自分を曲げずに貫くことも大事です。
先生に付けられた名前に恥じない生き方をせねばと思います。
私は心の底から尊敬できる人と子供の時に出会った、とても幸運な人間です。
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